私の母親もそうですが、貯蓄をして何が悪いのかという人がたくさんいるということです。
経済学はこういう消費者を想定していません。
これから老齢化社会に向かって、そういう人の数はますます増えるかもしれない。
そうなった時に、通常の金融政策が効力を発揮できるのかというと、これまで実験されたことのない領域だと思います。
それも念頭に置いて、我々は考えていく必要があるのではないでしょうか。
その二○○円を誰かが借りて使ってくれれば、自分で消費した八○○円プラス誰かが借りて使ってくれた二○○円、計一○○○円が次の人の所得になって経済は回っていく。
ところが貯金した二○○円分のうち、一○○円しかお金を使ってくれる人がいなければ、一○○円分そこに穴が空いてしまう。
それを放置しておくと次は九○○円しか所得が発生していないわけだから、そこでまた一割貯金されたら次は八一○円、またそれの一割貯金となれば七百いくらということで、これはどんどん縮小均衡に向かっていく。
最後はどこで安定するかと考えてみると、みんなが貧乏になって一銭も貯金できなくなったところで安定するのです。
五○○円ぐらいにまで所得が落ちると、一○○○円の消費に慣れた人たちは生活費や子供の教育などに全部使い、五○○円が全部なくなってしまう。
そうすると次の人の所得も五○○円だから、彼も同じ状況にいればまた五○○円使う。
そこで安定する。
これがアメリカの大恐慌の時に実際に見られた状況で、その結果GDPが四割以上消えてしまったわけです。
我々はあの大恐慌を非常に異常な事態だと言います。
あんなことは普通に発生することではなく、たまたまあそこで変なことが起きたからああなったのだという目で見て、我々は大恐慌という言葉を使いますが、もしかしたら東アジアではそれほど前のことではない、例えば一○○年前まで、そういう世界が太古の時代からずっと続いていた可能性もあります。
つまり、日本の人々も中国の人々もみんな貯金したいと思っているが、みんな貯金したいと思っても一方で投資需要がなければ、結局はみんなが貯金できないところまで所得が落ちたところで安定する。
それがもしかしたら何百年も続いたアジアの経済だったのかもしれないのです。
ところが、いろいろな技術革新や明治維新などがあってそこにとても多くの投資需要が出てきたから、アジアの人の貯蓄好きと外からやってきた技術革新が見事にマッチして、経済は一気に急拡大します。
またMさんが言われたように、戦後に一回焼け野原になった状況で、それがさらに加速されていった。
たしかにこの一○○年間は、アジアだけでなく世界で大変な技術革新が行われて投資機会が生まれた。
そういうことが、アジアの人の高貯蓄率と実にうまくマッチして、大変な経済発展に結びついたのではないかという気がします。
それではこれからもずっとこれが続くかというと、技術革新の部分はある程度期待していいと思います。
やはり技術革新が進めば新しい投資需要は起きてくる。
しかし、人々が貯蓄したい金額に対して充分かというと、どうもこれは自信がなくなってしまう。
そうだとしたら、今度は消費や貯蓄のほうにメスを入れなければならないことになります。
技術革新は予測できないからです。
誰かが素晴らしいものを急に発明してくれれば、そこでドカンと投資需要が出てくるかもしれないが、それは我々が予測できる範囲ではありません。
すると、政策的に何ができるかというと、企業ではなくて個人の消費や貯蓄行動のほうにもう少し目を向けなければいけないということになります。
こういう観点から見ると、心配になるのは、もしかしたら我々アジア人の遺伝子のなかに、貯蓄好きというのがすでに入っているかもしれないということです。
これはラテン系の人にはあまりない遺伝子かもしれないが、何をおいても貯蓄という発想は我々のなかで何百年も続いてきたものであって、これを変えるのはなかなか難しいかもしれないということです。
スタンスは逆になりますが、アメリカでも一時はどうしても貯蓄を殖やさなければいけないということがありました。
アメリカ人は消費しすぎて貯蓄があまりにも低いというので、一九八○年代の初めからいろいろなことをやりました。
私がアメリカのニューヨーク連銀にいた時も、「オール・セイバーズ・アカウント」と言って、減税措置をとってもっと貯金してくださいということをやらされました。
今日本でも話題になっている四○一Kも実はあの流れです。
もっと個人に自由にやらせたらアメリカ人はもっと貯金するのではないかと思ったのですが、全然そうならなかった。
貯蓄率は上がらなかったどころか下がる一方で、そういう政策が結局何を引き起こしたかというと、本来ならば別の口座に貯金しようと思っていたものをこちらに持ってきただけでした。
税金が高いものから低いところへのシフトばかりが起きて、トータルはあまり変わらなかった。
そう考えてくると、人々の貯蓄・投資行動を変えるのは非常に大きなチャレンジだと思います。
しかし、もし我々が昔の貯蓄のできないくらい貧乏な世界に向かっているとしたら、正面からこのチャレンジに取り組んでいかないと本当にそういう世界になってしまうのではないかという気がします。
例えば徳川時代の三○○年をどう見るかは、いろいろ異論もあるだろうし、日本人が必ずしも消費下手だったわけではないとも思いますが、政策論に立ち返って考えると、今言われている政策手段にインフレターゲットがあります。
インフレターゲットは結局のところ何をやろうとしているのかというと、物価が下がり続けているデフレ状況のもとでは投資も消費も出にくいだろうから物価を若干プラスに持っていくことによって投資、消費を刺激したいということです。
しかし、投資をどんどん刺激して、投資が回復すれば安定成長に乗れるかというと、それだけでは無理だと思います。
というのは、投資は明日の供給力だから供給力はどんどん増え続けるが、最終需要は伸びないという状況は長続きしないわけです。
投資も伸びなければいけないかもしれないが、やはり個人消費が伸びてこないといけないのです。
究極のところ、インフレターゲットで景気を刺激するというのは、個人消費をもっと出させるということに帰着するのではないかと思います。
そのために金融政策があるというのは、私は、そこにものすごい論理のすり替えがあると思います。
要するに物価が下がっているのはデフレである。
デフレは貨幣的な現象である。
貨幣的な現象は金融政策でしかどうにもならないのではないか。
だから、金融政策の出番だという三段論法的で、短絡的な発想につながっていく。
金融政策ですべてのことをうまくやって、安定成長をもたらすというのは、先ほども言ったようにマネタリストを中心としたアメリカの経済学者のおごりだと思うのです。
歴史を振り返ってみても、戦後の日本の経済は、金融政策がうまくいったから高度成長になったのかというと、それだけではないだろうというのが普通の考え方です。
あるいは、大英帝国の没落を考えた場合、あれは金融政策がまずかったからかというと、まずいこともあったかもしれないが、それだけではないだろうというのが普通の感覚です。
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